さて、野次馬です
こんにちは
いや、いま文字を打っているのが昼間なのであって、見る人は昼じゃないかもしれない
おはようございます
こんばんは
線と雨と申します
今日は、また何となく自分の中でぐるぐるしてることを出したくてここを開きました
では本題です
推しが燃えています。
ああ、燃えているというのは比喩です。物理的に燃えていたら119番の後110番に電話しなければいけないので
はい、そうです。推しがプチ炎上しています
まず、自分と推しについて語ります。いわゆる隙自語ってやつです。嫌な人はブラウザのバツ押してなかったことにしてください
自分は今、いわゆる.5系にハマっておりまして、その俳優たちを(SNS上で)追っかけています。ハマったことがあるのは何分某Jの方々だけだったのですが、そのJの方々もまあいろいろありまして、今はお茶の間に近いあたりで見守るタイプのファンとして追いかけております
そんな中、友人に連れられて行った.5の舞台。いやあ、初めての経験でした。キャラクターの実体化。原作を踏まえたうえで練られた舞台演出。アニメのような緩急。どれをとっても初めましての感覚で、ぐぐぐっと引き込まれ、まあ翌々日の当日引き換え券を帰宅早々とってしまうぐらいには楽しかったんです
そこから、過去作のDVDなどをあさり、他の.5の見識も深めてきました。まあその中でいろいろ起こった出来事というかハプニングというか…炎上も見るわけですけども
元いたJ沼は、事務所もファンも馬鹿でかかったため、起こる炎上と言えばたいていが色恋の類。Jは主に歌って踊って夢を届けるアイドルが所属する事務所ですから、ひとたび金曜日とかセンテンススプリングから記事が出ればそいつ誰だよと言わんばかりに砲撃の嵐でした。色恋以外の記事は、不仲や高い買い物したという日常から、犯罪や解散といった世間をまあまあ揺るがす記事だったりするので、燃えなかったり別角度で大騒ぎになったりするわけですが。でも、基本的にJはSNSの所持を近年まで禁止していました。複数名こっそり所持していた人もいるのですが、あまりに距離が近すぎると特別感が出ないという事務所の意向からです。昔は、ネット上に写真も出ないしSNSがないから彼らを知るのがめちゃくちゃ大変で、もっとネット業界に進出してくれればいいのに…と思っていましたが、それは、ある意味タレントを守る、ということに大きな役を買っていたんだと、いまならわかる気がします。
SNSを所持するということは、莫大なメリットと深刻なデメリットを同時に請け負うということです。メリットは、こまめなSNS投稿によりファンないし興味本位で来た人とコミュニケーションをとれる、SNSを介して自分を発信することで新たな仕事に繋げる等、活躍の場を広げるということに一役買っています。それは自分の発信したものが新たな仕事を呼び込むだけでなく、日々仕事をこなすだけでは決して交わらないであろう人との接点の構築も可能にしています
デメリットは、直接声が届いてしまうこと。今回筆を執ったのはこれに関することです。近年問題視されているように、ネット上では誹謗中傷が横行しています。いまだに名前を変えておけば、アカウントを変えておけばわからないだろうなんていう幼稚な思考の人がいることにまずは呆れますが、それら誹謗中傷の多くが向かう先はみなし公人と呼ばれる芸能人の人々です。芸能人も人ですよ
Jがうまかったのはそこです。そもそもJはタレントとファンが直接交流する場を極端に絶ってきました。jrのころには、ファンレターといったファンからの贈り物もありましたが、デビューすれば話は別。直接彼らと交流できるのはコンサートだけ…極端ともいえるファンとの断絶です。しかしこれは、ステージ上に立つアイドルたちを見て嬉々とするファンのみが目に入る、タレントからすれば圧倒的肯定の中にいる、かなりストレスの少ない環境のようにも思います。もちろん批判は必要ですが、それは歴史として先輩が担ってくれる。舞台上に立つ者たちも、うちわの数、双眼鏡の向きなど、批判でも非難でもないファンの行動から悔しさを感じてステップアップを目指す。それが故に圧倒的な才能を持つものは極稀に天狗と化してしまったりするのですが、そういう時は大抵努力家たちに抜かされて後から悔しさを感じている
そう、彼らは、ファンの一時の憎しみや怒りに惑わされたり歪まされたりすることなく、自分が思うアイドル道を邁進することができる
さて、ここで今回話したいことに道を戻します。多くの次元の狭間で活躍する俳優たちは、かなりの割合でTwitterかInstagramを所持しています。そしてそこにはコメント欄なるものが存在してしまう
彼らのコメント欄で怒りをぶつけたことのある人に問います。あなたが怒りに任せて書いたその言葉は、誰に向けて書いたものですか
TwitterもInstagramも自由です。何書いたっていい。ピノが星型だったとか、流れ星見つけたとか、車に水かけられたとか、ごみ出し間に合わなかったとか。なんでもいい。だって独り言の世界です。でも、それはあくまで無対象に話すときのこと。@をつけた瞬間、コメントを書くを選んだ瞬間、それは一対一の会話の世界になります。画面越しにいる相手を選んで、ダイレクトに言葉をかける行為です。そんな中でタレントに文句言う人って、初めましての後輩に、出会って3秒で気に入らないと言い放つタイプの人間なんでしょうか。そんなこと、する人ほとんどいません。許されるのは戦国武将ぐらいなものでしょう
今回の炎は、確かに燃え上がるべくして燃え上がった感じがします。何度か打っていた火打石が、ついに着火剤に火をつけた。そんな感じの炎です。私も、これはまずいのでは…と思いながら見ていましたし
でもね
舞台上の姿に焦がれた自分は、たとえ私生活で恋人作ってようが、私生活偽ってようが、舞台さえしっかりやってくれたらそれで文句ないんです。彼らが最高のパフォーマンスしてくれればそれでいい…なんで傷つけようとするのさ!
まあ怒りがわくのはわかりますよ。がっかりしたのもうなずけはする。でも個人の返信欄に好きなこと書いていいわけないでしょうが!せめて(こうだと思ってたのに)裏切られた気がして悲しいとか、ここはこうだったらもっとよかったですとか、キレるだけじゃなくてここをこうしてほしかったと具体的に、かつ理論的に批判するとかあるでしょう。怒りは個人に向けた方がわかりやすくて楽だけど、拡声器片手に1億オーバーの全世界の人に言った方がすっきりしません?個人的にはします
我々作品のファンが言える最も強い脅しはただ一つ
「我々の期待を、裏切らないでもらいたい」
これじゃないでしょうか
自分は舞台の客席で待っています。前の公演がコロナの影響で中止になってしまったあの時からずっと、次の公演の客席に行くことを楽しみにしています。これは、ある意味冷淡なファンかもしれません。でも惚れたのは舞台の上に立つ彼らなので、外で何やってようが関係ありません。次に見た舞台が心に刺さることが、何よりの楽しみなのですから。そして彼らなら、それを遂げてくれると信じていますから
別れがあれば出会いもあり、谷があれば山もある
次回公演の客席、そこで待っています
支離滅裂にもほどがある文章。野次馬の戯言でした
あと30分弱の今日へ
9月22日になりました。
関ジャニ∞にとっては様々な記念日が重なるとてもめでたい日です。
そんな日に、ヲタクとして初めてブログを書きます。
初めまして。線と雨と申します。
この始まり方に見覚えがある人は、某サイトでお会いしたことがあるかもしれませんね。
日頃は140字で愛を叫ぼうと思っているのですが、足りなくてスレッドを立ててしまったり、一言しか叫べなかったりとうまく使えず、結局ブログを書くことにしました。
彼が、赤を背負っていた彼が、自分の夢を見つけ、古巣を離れて初めての9月22日。
正直、今日が9月22日であることに気づいたのは起きてTwitterを開き、巡回を始めたときでした。そうか、今日は9月22日だったと、その時気づきました。
いつもであれば、関ジャニ∞が世に大きく出たこと、そして赤い人を祝う激重ツイートをキメるのですが、今朝はそれができませんでした。
何を祝えばいいのかを、一瞬躊躇してしまったから。
私は関ジャニ∞が好きです。関ジャニ∞という存在以上に、日常に食い込んできた趣味は今までありませんでした。ほぼ宗教に近いと思っています。夢や生きる活力も、彼らにもらったので。
本来今日祝うべきことは、関ジャニ∞が全国デビューを果たしたこと、そして、渋谷すばるがこの世に生を受けたこと、渋谷すばると丸山隆平がジャニーズ事務所に入ったこと、この3つでした。
このうち後ろ2つを、私は打てなかった。
自分語りをします。
渋谷さんを私が認識したのは、関ジャニ∞をはっきりと認識した後、今から4年前、ココロ空モヨウを初めて披露したベストアーティストでした。
赤いゆったりとした服に身を包み、大きなアコースティックギターを抱え帽子をかぶった彼は、私が今まで持っていたジャニーズ像を打ち砕いてくれました。
そこから5か月で初めてファンクラブなるものに加入し、初めてのライブは友人がとってくれた十祭でした。
我ながらいいタイミングでヲタクになったなと思います。露出が増え始め、新たなことにも乗り出した彼ら。新しさと懐かしさが混ざる関ジャニ∞は、昔のエピソードやコンサートを見始めた新規の人に、知らないことを驚きとともに提供し、履修した部分を「あーこれこれ!DVDで見た!」と過去を今にアップデートして伝えてくれる。本当に恵まれたタイミングだった。
そして私は安田さんに落ち、現在でも安田章大が好きなアーティスト欄に並んでいます。
渋谷さんは歌の神様に愛された人、というのがその時の印象でした。ライブ、テレビ、ラジオ、様々なところから聞こえてくる渋谷さんの声には、心を揺さぶる何かがありました。それに救われたことも、何度もありました。
関ジャニ∞の中心に立ち、かといって飛び出すこともなく、メンバーが大好きな人。愛される力をもって生まれた人。そんな印象を、関ジャニ∞と過ごすこの4年で渋谷さんに抱きました。そんな場面を見るたびに、「渋谷さんは姫なんだな」と思っていました。
それを顕著に感じたのは、エイタメ無印のコメンタリー。渋谷さんの発する言葉、行動すべてが周りの人を笑わせていた。あの笑顔は、とてもきれいだったなあ。
4月1…2だか3だか忘れましたが、第一報が出たとき、実はそんなに驚きませんでした。そんなことないと思っていたわけではなくて、そうかもしれないが勝ちました。渋谷さんは、本当に関ジャニ∞からいなくなってしまうかもしれないと、そう思いました。
それが現実になったとき、憶測ではなく事実になったとき、そりゃあ悲しくて最初は泣きます。めっちゃ泣きました。へたすりゃ卒業式以上に泣きました。けれど2週間ぐらいたつと、結構大丈夫になりました。テレビを見ると、そうかこれはあの前の…と考えてしまって、そのことにも、そんなこと考えてしまう自分にも少し悲しくなりましたけど。そんな風潮あったじゃないですか。この時どうとか考えるのやめようみたいな。でも無理ですよ。だってあの時の彼ら、あまりにつらそうだから。
タイムシフト機能付きレコーダーを使用しているので、番組を見てから保存するか決めるのが普通なのですが、1月以降の番組はほとんど残していませんでした。4月15日を過ぎた後も収録日はそれ以前のものばかりで、時々顔が死にかける人を見ました。テレビに出る人で、ここまで嘘をつけない人は初めて見ました。苦しかったんだなと、想像するしかできないことも、悲しかった。
そしてTwitterのお通夜ムードもつらくなり、少しツイッターから離れた瞬間もありました。嬉しいこともありました。彼らと関わったほぼすべての人が、彼らを応援し、守ってくださった。そのことがとても嬉しかった。
6月を過ぎれば、収録もあの日を過ぎ、もう振り返ることはできないのだと、心を決めた彼らがいました。そのあたりから、バラエティーを見るのが楽しくなりました。
そしてそのあたりから、私は赤い人がいなくなった後の関ジャニ∞、そしてずーっと先の未来を考えるようになりました。あーなったらいいな、こうなったらいいなと家で呟くようになりました。それは今も変わりません。未来に夢を見ています。彼が夢を見たのと同じように、私も夢を見ているのです。
最後の1週間は、楽しさ8割悲しさ1割切なさ1割って感じでした。渋谷さんは最後にアイドルをやりつくしたのだと、そう感じました。6人はそれを見届けたのだと、そう解釈しました。
あれから2か月とちょっとかあ。もう遠い昔のように感じる、なんていうと、怒られてしまうだろうか。それだけ、6人で積み上げてきた、7人のときに比べればずぅーっと少ないはずの2か月ちょっとが、私にとって濃密だと感じたからなんだろうな。そんな気がする。私も少し気を張ってみていた気がする。どうなるのかが、わからなかったから。でももう、肩の力抜いて見れますよ。渋谷さんが大切にしてきた関ジャニ∞は、新しい走り方を見つけたことに気づいたから。
さあ、今日は年に一度しかない日です。
関ジャニ∞が、夢に向かって走り出した日です。その夢は、今では形を変えているかもしれないけれど、その走っている姿は今では当時と比べ物にならないくらいたくさんの人に力を与えています。
渋谷すばるが、産声を上げた日です。人としても。アイドルとしても。アイドルの渋谷すばるはマイクを置いたけれど、渋谷すばるはマイクを持ち続けている。その歌が再び誰かの心を震わすことを願って。
渋谷さん
あなたに出会えたことは、私の人生で幸運だったことベスト3に入ります。まあ、同率で関ジャニ∞のみんなもだけどね。
また会いましょう。あなたが居たいところで構いません。呼んでくれれば、どこへでも飛んでいきます。あー、どこへでもは言い過ぎました。人が住めるところであれば、どこへでも。
そして歌を聞かせてください。あなたが心の底から好きだという歌を。その歌に合わせてノることができるなら、それは私にとってとても幸せなことです。
さて、大体言いたいことかけたんで、あの言葉も言えそうです。なんと、もう11時半です。10時ごろから書き始めて、1時間半もパソコンの前に座っていました。書くの遅すぎです。あと30分ぐらいしかありません。
あと30分の今日は、9月22日。
とてもめでたい、幸せが生まれた日。
渋谷すばるさん。
お誕生日おめでとう。
これからのあなたの人生が、暖かい光に包まれることを願っています。