あと30分弱の今日へ

9月22日になりました。

関ジャニ∞にとっては様々な記念日が重なるとてもめでたい日です。

そんな日に、ヲタクとして初めてブログを書きます。

 

 

初めまして。線と雨と申します。

この始まり方に見覚えがある人は、某サイトでお会いしたことがあるかもしれませんね。

日頃は140字で愛を叫ぼうと思っているのですが、足りなくてスレッドを立ててしまったり、一言しか叫べなかったりとうまく使えず、結局ブログを書くことにしました。

 

彼が、赤を背負っていた彼が、自分の夢を見つけ、古巣を離れて初めての9月22日。

正直、今日が9月22日であることに気づいたのは起きてTwitterを開き、巡回を始めたときでした。そうか、今日は9月22日だったと、その時気づきました。

いつもであれば、関ジャニ∞が世に大きく出たこと、そして赤い人を祝う激重ツイートをキメるのですが、今朝はそれができませんでした。

 

何を祝えばいいのかを、一瞬躊躇してしまったから。

 

 

私は関ジャニ∞が好きです。関ジャニ∞という存在以上に、日常に食い込んできた趣味は今までありませんでした。ほぼ宗教に近いと思っています。夢や生きる活力も、彼らにもらったので。

本来今日祝うべきことは、関ジャニ∞が全国デビューを果たしたこと、そして、渋谷すばるがこの世に生を受けたこと、渋谷すばる丸山隆平ジャニーズ事務所に入ったこと、この3つでした。

このうち後ろ2つを、私は打てなかった。

 

 

自分語りをします。

渋谷さんを私が認識したのは、関ジャニ∞をはっきりと認識した後、今から4年前、ココロ空モヨウを初めて披露したベストアーティストでした。

赤いゆったりとした服に身を包み、大きなアコースティックギターを抱え帽子をかぶった彼は、私が今まで持っていたジャニーズ像を打ち砕いてくれました。

そこから5か月で初めてファンクラブなるものに加入し、初めてのライブは友人がとってくれた十祭でした。

我ながらいいタイミングでヲタクになったなと思います。露出が増え始め、新たなことにも乗り出した彼ら。新しさと懐かしさが混ざる関ジャニ∞は、昔のエピソードやコンサートを見始めた新規の人に、知らないことを驚きとともに提供し、履修した部分を「あーこれこれ!DVDで見た!」と過去を今にアップデートして伝えてくれる。本当に恵まれたタイミングだった。

そして私は安田さんに落ち、現在でも安田章大が好きなアーティスト欄に並んでいます。

渋谷さんは歌の神様に愛された人、というのがその時の印象でした。ライブ、テレビ、ラジオ、様々なところから聞こえてくる渋谷さんの声には、心を揺さぶる何かがありました。それに救われたことも、何度もありました。

関ジャニ∞の中心に立ち、かといって飛び出すこともなく、メンバーが大好きな人。愛される力をもって生まれた人。そんな印象を、関ジャニ∞と過ごすこの4年で渋谷さんに抱きました。そんな場面を見るたびに、「渋谷さんは姫なんだな」と思っていました。

それを顕著に感じたのは、エイタメ無印のコメンタリー。渋谷さんの発する言葉、行動すべてが周りの人を笑わせていた。あの笑顔は、とてもきれいだったなあ。

 

4月1…2だか3だか忘れましたが、第一報が出たとき、実はそんなに驚きませんでした。そんなことないと思っていたわけではなくて、そうかもしれないが勝ちました。渋谷さんは、本当に関ジャニ∞からいなくなってしまうかもしれないと、そう思いました。

それが現実になったとき、憶測ではなく事実になったとき、そりゃあ悲しくて最初は泣きます。めっちゃ泣きました。へたすりゃ卒業式以上に泣きました。けれど2週間ぐらいたつと、結構大丈夫になりました。テレビを見ると、そうかこれはあの前の…と考えてしまって、そのことにも、そんなこと考えてしまう自分にも少し悲しくなりましたけど。そんな風潮あったじゃないですか。この時どうとか考えるのやめようみたいな。でも無理ですよ。だってあの時の彼ら、あまりにつらそうだから。

タイムシフト機能付きレコーダーを使用しているので、番組を見てから保存するか決めるのが普通なのですが、1月以降の番組はほとんど残していませんでした。4月15日を過ぎた後も収録日はそれ以前のものばかりで、時々顔が死にかける人を見ました。テレビに出る人で、ここまで嘘をつけない人は初めて見ました。苦しかったんだなと、想像するしかできないことも、悲しかった。

そしてTwitterのお通夜ムードもつらくなり、少しツイッターから離れた瞬間もありました。嬉しいこともありました。彼らと関わったほぼすべての人が、彼らを応援し、守ってくださった。そのことがとても嬉しかった。

6月を過ぎれば、収録もあの日を過ぎ、もう振り返ることはできないのだと、心を決めた彼らがいました。そのあたりから、バラエティーを見るのが楽しくなりました。

そしてそのあたりから、私は赤い人がいなくなった後の関ジャニ∞、そしてずーっと先の未来を考えるようになりました。あーなったらいいな、こうなったらいいなと家で呟くようになりました。それは今も変わりません。未来に夢を見ています。彼が夢を見たのと同じように、私も夢を見ているのです。

最後の1週間は、楽しさ8割悲しさ1割切なさ1割って感じでした。渋谷さんは最後にアイドルをやりつくしたのだと、そう感じました。6人はそれを見届けたのだと、そう解釈しました。

 

あれから2か月とちょっとかあ。もう遠い昔のように感じる、なんていうと、怒られてしまうだろうか。それだけ、6人で積み上げてきた、7人のときに比べればずぅーっと少ないはずの2か月ちょっとが、私にとって濃密だと感じたからなんだろうな。そんな気がする。私も少し気を張ってみていた気がする。どうなるのかが、わからなかったから。でももう、肩の力抜いて見れますよ。渋谷さんが大切にしてきた関ジャニ∞は、新しい走り方を見つけたことに気づいたから。

 

 

 

さあ、今日は年に一度しかない日です。

関ジャニ∞が、夢に向かって走り出した日です。その夢は、今では形を変えているかもしれないけれど、その走っている姿は今では当時と比べ物にならないくらいたくさんの人に力を与えています。

渋谷すばるが、産声を上げた日です。人としても。アイドルとしても。アイドルの渋谷すばるはマイクを置いたけれど、渋谷すばるはマイクを持ち続けている。その歌が再び誰かの心を震わすことを願って。

 

 

渋谷さん

あなたに出会えたことは、私の人生で幸運だったことベスト3に入ります。まあ、同率で関ジャニ∞のみんなもだけどね。

また会いましょう。あなたが居たいところで構いません。呼んでくれれば、どこへでも飛んでいきます。あー、どこへでもは言い過ぎました。人が住めるところであれば、どこへでも。

そして歌を聞かせてください。あなたが心の底から好きだという歌を。その歌に合わせてノることができるなら、それは私にとってとても幸せなことです。

 

 

さて、大体言いたいことかけたんで、あの言葉も言えそうです。なんと、もう11時半です。10時ごろから書き始めて、1時間半もパソコンの前に座っていました。書くの遅すぎです。あと30分ぐらいしかありません。

 

 

 

 

 

あと30分の今日は、9月22日。

とてもめでたい、幸せが生まれた日。

渋谷すばるさん。

お誕生日おめでとう。

これからのあなたの人生が、暖かい光に包まれることを願っています。